いろい録

酒井総合研究所のブログです。

けったいな夢

けったいな夢を見たところなので皆さんに共有したい。

 

年齢は25歳ぐらいの男女、男性の姿は無精髭、女性は手入れをしていないボサボサの髪型だ。みんなパジャマや部屋着を着ている。

そんな人たちが5、6人集まっている。

自分もその中の一員で、こち亀日暮熟睡男みたいな格好をしている。

どうやら全員ニートのひきこもりで、ネットで知り合ってオフ会をしているらしい。

どこかの都市の公園に集まり、酒を持ち合ってプチ宴会みたいなのをしていると、近所の人に通報された。

赤色灯が公園の下の道路に停まると僕らは公園から続く裏山の登山道に入って行った。道にはしたがわず山の中へガサガサ入っていく。

水たまりにはまって靴がグジュグジュになる。気持ち悪くなって靴を捨てた。裸足で歩く雑木林は落ち葉でふかふかしており、気持ちよかった。野山を駆けずり回るとはこう言うことなんだと思った。

木の枝やいがくりを裸足で踏みつけても突き進んだ。目的もなく、行くあてもなく…日は暮れ、辺りは真っ暗。進んでいる方向がまっすぐなのかすらわからない。もう引き返すにも戻れない。

時間にして5時間ぐらい進んだ。すると突然、人工物が目の前に現れた。送電線の鉄塔だ。その土台で我々は休憩することにした。

デカメロンのように自分の人生がどういうものであったかを語らいあった。内容は覚えていない。

それから数時間後、思いったって我々は命を絶った。

 

 

妙にリアルな夢だった。正夢にならないことを祈っている。

 

 

 

ワイ、アジフライ食って骨が刺さり、病院へ

ある日の耳鼻咽喉科

先生「口アーン」
ワイ「アーン」
先「見当たらんなぁ…ところでなんの魚?」
ワ「アジです。」
先「アジなら小さいからわからんかもな。とりあえず舌出してエーと言って」
ワ「エーーーーーーーヴォェ゛」
口内カチャカチャ
先「これかな(組織)」
ワ「ム゛」
先「ハズレか」

 

しばいたろか

 

先「これか」
ピンセット「ブチ」
ワ「ギャ」
先「これかこれか高齢化高齢化高齢化高齢化」
ワ😇

 

先「最終兵器使うcar」
内視鏡「さぁ始まるザマスよ」
先「口アーンでエー」
ワ「エー」
内視鏡「行くでがんす」
ワ「ン゛ガー」
先「まともに探しても見つかりませんよ」

先「鼻から行っちゃう?」
ワ「心の準備が…」

先「入れるよ❤️」
ワ「うん…///」
内視鏡「ニョロニョロ」
ワ「ンアエ゛ッ゛ホ゛ブェ゛ッ゛ホ゛(診察台ジタバタ)」

先「横向いて画面見てくれる?(内視鏡刺さったまま)」

 

ワイは痛みで横を向く余裕がなかったが、我慢して横を向いた。涙目で何も見えなかった…

 

先「じゃあ内視鏡抜くよ」
ワ「ニギュワアァアアア」

先「うんー(長考)」

先「わからん」
ワ「エエエエエエ」

先「鯵の骨は小さいから自然に取れるの待ってもらうしかないわ。化膿したらアカンからイソジンでうがいしてな」
ワ「…」
先「お大事に(決め台詞)」

受付「酒井さーん3020円になります」
😳

 

ワイは取れませんでしたが、安心できました。
喉に骨が刺さった場合は病院行くことをお勧めします。

 

 

 

 

「響け!ユーフォニアム」から解き明かす京都アニメーションの偉業

京都市の南の住宅街にアニメーション制作会社がある。ここから革命的なアニメが次々と生み出された。アニメ業界を先導してきたと言っても過言ではない。任天堂には及ばないが京都からサブカルチャーを先導してきたのは明らかだ。

響け!ユーフォニアム」から京アニの“凄さ”について解き明かしてゆく。

あらすじ

高校1年生の春。

中学時代に吹奏楽部だった黄前久美子は、

クラスメイトの加藤葉月川島緑輝とともに吹奏楽部の見学に行く。

そこで久美子は、かつての同級生・高坂麗奈の姿を見かける。

葉月と緑輝は吹奏楽部への入部を決めたようだったが、まだ踏み切れない久美子。

思い出すのは、中学の吹奏楽コンクールでの麗奈との出来事だった。

吹奏楽部での活動を通して見つけていく、かけがえのないものたち。

これは、本気でぶつかる少女たちの、青春の物語。

公式サイトより

introduction:STORY | TVアニメ『響け!ユーフォニアム』公式サイト

 

"手抜きを許さない制作会社"としてアニメファンから支持を得ている京アニ

なぜこの「響け!ユーフォニアム」という作品を世に送り出したのか。

映像化の課題

小説を映像化する上で主に2つの方法がある。実写化とアニメ化である。

結論から言うとこの作品は実写化に向いていなかった。それは吹奏楽という特殊性ゆえ役者が演奏しなくてはいけない。経験者だとしても心情や葛藤など迫力のある演技力が無いと話にならない。さらに高校生の役が演じられる年齢の制約がある。両方の能力・条件を併せ持つ者は限られているだろう。

一方アニメにすると、猫がバスになったり、豚が飛行機を操縦できたりと映像の自由度が増す。さらにアニメは映像と音声に分けることができる。映像に声をあてる声優は演技に専念し、映像に命を吹き込んでゆく。

要するにアニメーションは、実写映像では難しい作品も絵によって視覚することを可能とし、声の演技に特化した声優により、視覚的聴覚的にも原作・脚本通りに近づけることができる。

しかし、この作品はアニメ化するのも非常に難易度が高いくせ者であった。

  作画

京アニから離れるが、『ジェリーとスプーンC』という絵が中学校の美術教科書の表紙になっていた。私はそれに感動を覚えた。

「みずみずしく透明感のあるジェリーを景色が写り込んだ鏡のようなスプーンですくう」そんな絵である。画家に失礼かもしれないが、俗に言う「写真のような絵」だった。写実的に金属光沢や水*1などの光の表現を描くのは難しいのだと素人目線でもわかる。

話を戻して、この「響け!ユーフォニアム」という作品は、主人公が金管楽器であるユーフォニアム担当である。吹奏楽部を題材にする以上、複雑に曲がりくねった管やピストン等の金属表現は避けては通れない。その上、動作をつけてアニメーションとして作品を成立させなければならない。

実写化だけでなく、ある程度現実性を持たなくてもよいアニメでも難しい。

それを実現させたのが京アニである。

さらに京アニの凄いところはそれを違和感なく溶け込ませる能力があること。違和感がないからこそ、視聴者側は話にのめり込まれていく。

アニメを見ているのではなく、彼女たちのドキュメンタリーを見ているのではないかと思うほど…いや、無意識的に視聴していたのかもしれない。

これほど原作・脚本を引き立たせるアニメーション制作会社はあっただろうか。

それを平然とやってのける京アニ、あっぱれ!

今までにない作品を作り出す革命児。他の追随を許さぬその姿勢。まさにプロフェッショナルである。

映像という枠を超越したアニメだと私は思う。

アニメに興味がない人も見てほしい作品です。

PV

 

 

TVアニメ『響け!ユーフォニアム』 PV第2弾 - YouTube

 

 

 京アニとはなにか

京アニには古典的魅力がある。古典的とは言っても陳腐などの意味はない。今なお評価され、数々の影響を与えてきたことを指すclassicの意味である。

 

時の試練

"時の試錬"とは、時間のもつ風化作用をくぐってくるということである。風化作用は言いかえると、忘却にはかならない。古典は読者の忘却の層をくぐり抜けたときに生れる。

外山滋比古『思考の整理学』ちくま文庫

あの斬新な作風は20年30年経ても風化しないだろう。京アニが世に送り出した「けいおん!」「涼宮ハルヒの憂鬱」などは放送から10年以上経過したが、いまだ衰え知らず。忘却なんてありえない。

時の試練が効かない、洗練された素晴らしい技術のある京都アニメーションなのだから。

 

最後に

京都アニメーション放火殺人事件で亡くなられた方々にご冥福をお祈りいたします。

ご遺族の方、社員及び関係者の方々に謹んでお悔やみ申し上げます。

あのような形で京アニの名が知れ渡ってしまったことが残念でなりません。

青葉真司容疑者は裁判で事件の真相を語ってほしいです。そしてご遺族、関係者の方々の望む判決が出されることを願っています。

 

f:id:Sakai_Tsutomu:20200717235331j:plain

 

*1:2013年に京アニは水泳を題材としたアニメ「Free!」を制作している。

読ブログ子に寄す

——いろい録発信に際して——

酒井勉

 元号は平成から令和へ、西暦は10年代から20年代へ変わった。変わったのは時の流れだけでは無い。人々の生活環境も大きく変化するようになった。かつて一般の人々は言論もしくは表現の手段を保持していなかった。それを持っている者、所謂知識人から一方的に受け取らざるを得なかった。つまり知識と美の特権階級の独占が起こっていた。戦後、各人が自由に思想をもち、表現することが制限されることなく憲法で保障されるようになり、さらにインターネットやSNSの普及による影響で、個人個人が思ったことを発信し易い時代となった。このときにあたって、酒井総合研究所は自己の責務のいよいよ重大なるを思い、すでに1年前より志して来た計画を慎重審議この際断然実行することにした。文芸・哲学・社会科学・自然科学等のいかんを問わず、当ブログをいろい録と命名し、発信することにした。今月、オリンピック・パラリンピックが東京で開催される予定だったが、新型コロナウイルスの影響で延期となった。見当つかずの世の中、我々の暮らしを見つめ直し、発信してゆく機会なのかもしれない。

令和2年7月

 

 

 

f:id:Sakai_Tsutomu:20200630234014j:image





 岩波文庫の最後に載っている「読書子に寄す」の部分、昭和2年7月を令和2年7月の視点で置き換えて執筆してみました。初めてのブログ記事を投稿します。拙い文章でありますが、皆様よろしくお願いいたします。